秋田地方裁判所大館支部 昭和41年(わ)95号 判決 1968年5月20日
被告人 藤田作美
主文
被告人は無罪。
理由
一、本件公訴事実の要旨は、
被告人は、家業である農業に従事するかたわら、北秋田郡田代町本郷部落消防団員として、火災発生の場合にその消火活動にも従つているものであるが、ややどもる癖があるところから、無口で、内心にうつ積している不平不満をたやすく他人に打ち明けることができない内攻的性格のうえ、猜疑心が強く執念深い性質を有し、昭和三四年頃から同部落に住む藤田三太郎の長男藤田昭悦、伊藤武雄、同人の妻ミチヱ、芳賀三蔵、同人の妻ハルヱ、あるいは五十嵐福司および同人の家族らが被告人の悪評を世間に吹聴して歩いているものと曲解し、憤まんの情やるかたなく、またその悪評がますます世間に拡がるものと考えて悶々の日を送るようになつた。かくて、被告人は、
(一) 前記藤田三太郎所有の住宅に放火してこれを焼き払い、日頃のうつ憤を晴らそうと決意し、昭和三六年八月一四日午後一〇時過ぎ頃、田代町早口字上屋敷四七番地の一同人方木造トタン葺平家建家屋(建築面積一五二・八平方メートル)の母屋の屋根に登つて、その南側風抜き窓から馬屋天井の上に置かれてあつた藁製品にマツチで点火して火を放ち、その結果同人およびその家族が現に居住している前記家屋一棟を全焼させ、さらに隣接する同町早口字上屋敷四四番地の五十嵐福司およびその家族が現に居住している同人所有の木造杉皮葺平家建家屋一棟(建築面積一六五平方メートル)をも全焼させて、これらを焼燬し、
(二) 前記伊藤武雄所有の住宅に放火してこれを焼き払い、日頃のうつ憤を晴らそうと企て、昭和三八年八月二六日午後一一時三〇分頃田代町早口字上屋敷五七番地同人方木造萱葺平家建家屋(建築面積一一二・二平方メートル)の裏手に接着して建てられた物置小屋内に積み上げられていた乾草および右家屋の母屋東側廊下の出窓附近に被告人が丸めて置いていた直径二〇センチメートル位の乾草に、それぞれマツチで点火して火を放ち、その結果同人およびその家族が現に居住している前記家屋一棟等を全焼させて、これを焼燬し、
(三) 同部落の佐藤信一所有の住宅に放火してこれを焼き払えば、前記悪評の伝播を防止することができるのではないかと考えるに至り、昭和三八年一二月一〇日午前零時三〇分頃自宅から一合壜に入れた重油と布きれとを携えて、田代町早口字上屋敷一三番地同人方萱・トタン葺木造平家建家屋(建築面積約一六五平方メートル)に至り、右重油を浸した布きれにマツチで点火し、馬屋の風抜き窓よりこれを投げ込んで火を放ち、その結果同人およびその家族が現に居住している前記家屋一棟を全焼させ、さらに隣接する同町早口字上屋敷二番地伊藤哲雄およびその家族が現に居住している同人所有の杉皮葺木造平家建家屋一棟(建築面積約四九・五平方メートル)、同町早口字上屋敷五五番地芳賀利兵衛およびその家族が現に居住している同人所有の萱葺木造二階建家屋一棟(建築面積約二〇七・九平方メートル)、さらに同町早口字上屋敷五二番地藤田勇およびその家族が現に居住している同人所有のトタン・萱葺木造二階建家屋一棟(建築面積約一六一・八平方メートル)をいずれも全焼させて、これらを焼燬し、
(四) 同部落の藤田三治の住宅に放火してこれを焼き払えば、前記悪評の伝播を防止することができるのではないかと思い込み、昭和三九年六月一二日午前零時三〇分頃田代町早口字上屋敷一七番地同人方トタン葺木造一部二階建家屋(建築面積一一八・八平方メートル)の裏手に接着して建てられた作業小屋の西側に積み上げられていた藁にマツチで点火して火を放ち、その結果右小屋を経て同人およびその家族が現に居住している前記家屋一棟等に燃え移らせ、これを全焼させて焼燬し、
(五) 前記芳賀三蔵のハサ小屋に放火してこれを焼き払い、日頃のうつ憤を晴らそうと決意し、昭和四一年七月七日午後八時四〇分頃、自転車の後部荷台に藁とシヤツ類のボロを積んで田代町早口字長土路一五番地同人所有のトタン葺木造平家建ハサ小屋(間口二・七メートル、奥行三・六メートル)に至り、右藁の中に長さ三〇センチメートル位のボロを入れ、その三ケ所を藁でしばつて時限式放火物体(これに点火して放火しようとする物に接着しておけば、相当の長時間後にその物に燃え移るような仕掛になつている直径約七センチメートル、長さ約九〇センチメートルの物体)を作り、その小口の方にマツチで点火し、着火した小口の方をハサ小屋の中に積み上げられたハサ杭の中に差し入れて、その結果翌八日午前一時過頃、現に人の住居に使用せず、または人の現住しない前記ハサ小屋一棟等を全焼させて、これを焼燬し、
(六) 前記五十嵐福司のハサ小屋に放火してこれを焼き払い、日頃のうつ憤を晴らそうと決意し、昭和四一年八月七日午後九時頃田代町字瓶子ノ石一三番地同人所有の萱葺木造平家建ハサ小屋(間口三・六メートル、奥行四・四メートル)の中に積み上げられていた乾草にマツチで点火して火を放ち、その結果現に人の住居に使用せず、または人の現住しない右ハサ小屋一棟等を全焼させて、これを焼燬し、
たものである。
というのである。
二、右の各事実は、(五)、(六)にそれぞれ記載された「ハサ小屋が現に人の住居に使用せず、または人の現住しない建物である」との点を除いて、いずれも別紙証拠関係表記載の証拠により被告人が右記載のとおりの各犯行をなしたことを認めることができる。しかして、検察官は、右ハサ小屋は、刑法第一〇九条にいう非現住建造物であると主張するけれども、建造物とは「屋蓋を有し、しよう壁または柱材をもつて支持され、かつ土地に定置したもので、人の起居出入に適する構造を有するもの」と解すべきところ、五十嵐福司方のハサ小屋については、司法警察員作成の昭和四一年八月八日付実況見分調書、五十嵐福司の同月二四日付検察官に対する供述調書に照し、また芳賀三蔵方のハサ小屋については、同人の同月二九日付検察官に対する供述調書、第六回公判調書中証人芳賀ハルヱおよび第七回公判調書中証人芳賀三蔵の各供述記載、司法警察員作成の同月一六日付「類似はさ小屋の写真撮影について」と題する書面、司法警察員作成の同年七月九日付実況見分調書に照して、いずれもこれらの小屋は、屋根を設置してはいるものの、これも極めて粗末なもので、しよう壁と目されるものはないか、あるいはなきに等しく、内部には稲刈後の乾燥時期を除いてほとんどハサ棒だけが置かれ、それ以外の用途はなく、延いて人の起居出入りに適するものではないし、またそれを予定したものでもないことが認められる。従つて、本件各ハサ小屋は堀立小屋、物置小屋などと同一視することはできないから、これをもつて刑法第一〇九条にいう建造物に該るとは解し得ない。
なお、竹島弁護人は、ハサ小屋は、建造物でなく、刑法第一一〇条にいわゆるその他の物に該当すると主張するが、同条は公共の危険の発生を要件とするところ、前記各実況見分調書に徴し、火災の発生日時、ハサ小屋の存在場所、附近の状況などから、本件各ハサ小屋の焼燬によつて公共の危険が発生したとは認め難いから、所詮、右主張は採り得ないところであり、むしろ、主任弁護人において主張するように器物毀棄の事実に該当するものと解すべきである。いずれにしても、判示(五)、(六)は非現住建造物放火の事実にあたるものではない。
三、ところで、鑑定人佐藤時治郎、同小笠原暹作成の各鑑定書に徴すれば、被告人は前記各犯行時においていずれも精神分裂病のため、心神喪失の状態にあつたものと認められる。すなわち、
(一) 佐藤鑑定人の診断によれば、被告人の鑑定時における精神状態は明らかな意識障害や作為思考、滅裂思考など著しい分裂性思考はないけれども、抑うつ的な感情に支配され、内閉的で、思考の阻碍、被害妄想などがあり、感情の鈍麻、意欲減退がみられ、無為無関心、自発性欠乏などが明らかに認められること、また自己の精神病に対する病識は全くなく、独語、空笑、周囲に対する無関心が持続されていること、従つて被告人は精神分裂病に罹患し、その病像から現在では病勢が高度に進行した陳旧性の人格荒廃に近い状態にあること、さらに各犯行時の精神状態についても、被告人は精神分裂病の遺伝性傾向を有するものと推定されるところ、昭和三四年ころからその発病をみ、次第に病勢が進行して、本件各犯行は諒解不能な分裂病性妄想に基因し、偶発的、衝動的になされたものであり、当時精神分裂病に由来する高度の精神異常の状態にして、しかも被告人自身にこれら犯行の不当性について自己洞察の能力もなかつた、というのである。
(二) 一方小笠原鑑定人の診断によれば、被告人の現在の精神状態は、感情、意欲の鈍麻、対人接触性の著しい障害があり、思考内容は意昧、関連が弛緩して的をえず、時には滅裂の傾向を示すこと、また現在は幻覚、妄想が明らかに出ていないが、物音、人の気配に敏感で、やや被害的な考え方を持ち、奇妙な振舞や独語、空笑などがみられ、この点精神分裂病の病像に一致し、すでに進行した人格荒廃状態に近づきつつあること、そして被告人の右発病は昭和二七年ころと推定され、同三四、五年ころからはすでに被害妄想が現われ、その対象たる相手が不特定多数に拡大してゆき、内容も複雑となり、かくして精神分裂病は徐々に進行して同四一年夏には被害妄想、注察妄想、関係妄想など分裂病の著しい異常状態にあつたというのである。
(三) 従つて、両鑑定人の診断は、概ね一致しているものと見られるが、他方検察官は、被告人の犯行が精神分裂病に由来する被害妄想に悩まされた結果によることはほぼ肯認しているものの、犯行態様などから心神喪失の程度に達せず、むしろ心神耗弱の状態にあつたものと主張する。すなわち、(1) 被告人の本件犯行の手段、方法、犯行時の態度は、精神鑑定の資料とされていないし、むしろ放火の具体的行為からみると、人格荒廃状態にある者の行為とは考えられない、(2) さらに被告人の供述調書の内容からは犯行が計画的とさえ窺われ、そして自白後、否認に転じた理由や、犯行の発覚を免れようと努めた態度、かつは自己の行為に対する悔悟の気持の存することなどからみれば、被告人には理非弁別の能力があつたとみなければならないという。
そこで、この点について考えるに、本件被告人のような犯行時の精神分裂病の症状を診断するには、固より犯行の態様、手段などを遂一検討しなければならないところ、前記両鑑定人は、被告人の供述調書などからこの点についても詳細な検討を加えていること各鑑定書の記載から明らかである。また被告人の放火の方法が、極めて巧妙で理性的とすら受け取り得るところから、その人格が荒廃状態にあるとみることに疑問が抱かれ易いとしても、右各鑑定書によれば、これは被告人の病状として分裂性の思考などが表面に出ていないためであり、妄想に関する限りきわめて明白で、その人格全体としてはばらばらな不可解な態度を示しているというのであるから、右の如き診断の結果は充分是認できるところであり、さらに、被告人が供述内容を変え、防禦力があるようにみられる点も、各鑑定書に徴するとき、被告人の自白自体は意識の正常により信用性が高いけれども、否認によつて右供述の内容あるいは態度を変えるのは病状の進行に伴い被告人が極端に被影響的になつたからであると解せられ、むしろこのような影響を与えた原因こそ問題と考えられる。さらに悔悟の情を示したとみられる点についても、小笠原鑑定人の鑑定書によつて、分裂病に罹患している者でも、著しい興奮期など特殊の場合を除いては、放火することが悪いというような判断はなしうるが、ただ反規範的意識がなく行為の結果の洞察力がないため、結局善悪の判断に基づいて意思決定をなし、行動することができないというのであるから、単に悪かつたなどと述べたことから、直ちに是非善悪の弁別能力があり、それに基づき行動しうるものと認めることはできないといえる。ただ、被告人は、現時において意識障害がないので公判廷における供述内容のみからは善悪の判断がなしうるのでないかと誤認されやすいが、前記各鑑定書に、被告人の当公廷における態度、犯行時における諸事情などを併せ考えれば、意識障害がないからと言つて病状が軽いというわけのものではなく、現在も精神分裂病の症状を有し、これに支配されていることは否定し得ないところであるから、被告人が右能力を欠くか、ないしは善悪の判断に基づき行動することの不可能なこと明らかといわねばならない。従つて、検察官の主張は採用できない。
四、以上の次第で、本件各犯行時において被告人は心神喪失の状態にあつたものというべく、従つて、被告人の前記各所為は刑法第三九条第一項によつてその責任を阻却される場合にあたるから、刑事訴訟法第三三六条前段に則り被告人に対して無罪の言渡しをすることとする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 中田四郎 藤本清 谷口茂昭)
証拠関係表<省略>